2008年12月04日

携帯電話は悪か?

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子どもの教育目的のために学校での携帯電話の使用を規制するべきだ、との橋下知事の方針は極めて示唆に富んだ問題提起だと思います。携帯電話の使用規制をすることで子どもの学力が向上する保障はどこにもないような気もしますが、結論から言えば、私はこの方針に賛成します。

大阪府教育委員会の、高校1年生のうち32.6%は1日の携帯電話の使用時間が3時間以上で、多くの学生が1日に数十通ものメールをやり取りしている、との調査結果が仮に本当だとすれば、学生の「携帯依存」症を緩和させる努力を自治体が行ったとしてもあながち不合理とは言えないでしょう。

私は、携帯電話のメリットを否定するつもりはありませんが、携帯電話の普及(携帯電話自体ではありません)がもたらした以下のような明確なデメリットがあるように思います。あくまで自分自身の話ですが、

@もともとあまりよろしくない記憶力が明らかに減退(電話番号を記憶しなくなった)している気がする。

A携帯電話で遅れる旨の連絡が簡単に出来るようになったことで、遅刻が合理的かつ罪悪感の希薄な行為になった。

B人間関係の「間合い」が激変した(携帯電話を所有している以上は、余程の事情が無い限り掛かってきた電話に出なければならず、電話に出られないとなると「失礼」になり、相手に不快な思いをさせることになる)。

といったことです。@は記憶力の維持向上に自分自身が努めればよいのであくまで自助努力の問題ですが、AとBに関しては、相手があることなのでより厄介です。

話を元に戻しますが、学生の知的好奇心を涵養し、コミュニケーション能力を高め、寛容な精神を育む上では、携帯電話は無くても済む筈です。昔の学生の方が、上記の能力に関して劣っているなどというデータは無いからです。その限りでは、橋下知事の「大人になれば、いやでも携帯電話から離れられなくなる。子供のうちは携帯電話から離れて、ゆっくり自分の時間を使ってほしい」というのは説得力があるように思います。

もっとも、問題は、携帯電話から解き放たれた学生がどのような教育を個別具体に受けるか、ということに尽きるのは言うまでもありません。

余談ですが、20年以上前に開高健は、携帯電話なるものが将来出現をして、人間はいつどこにいても電話に追い回されるようになるだろう、と予見をした上で、現代におけるブルジョワジーの条件は、電話に追い回されずに済む休暇を与えられているかどうかだ、というようなことを指摘しています。利便性と豊かさが両立しないことの良い例証です。思わず、うーむと唸らされてしまいます。

写真は今夜の市川駅です。


posted by 村越ひろたみ at 17:03| 政治放談