2009年01月10日

シェアするべきか?

ワークシェアリングの導入に関して経団連会長と連合会長の双方がその導入に賛成しつつも、経団連は「賃下げ」を、連合は「雇用創出」を念頭に置いているために議論が平行線をたどったとのことです。

思うに、不況をやり過ごすためワークシェアリングを導入するのはやむを得ないことかもしれませんが、ワークシェアリングはあくまで限定的に用いられるべきではないでしょうか。個人は、生涯を掛けて追求するようなやりがいのある仕事を持つべきで、国家や企業はそうした仕事を創出し、一定以上の賃金を支払うよう努力するべきだからです。本来、仕事はシェアをするものではありません。

卑近な例ですが、実は、弊事務所においてもある種のワークシェアリング的なことをやっております。お恥ずかしながら、仕事が多すぎる割に「実入り」が大変少ないために、事務所スタッフが「自発的パートタイム化」せざるを得ない実情があるからです。要するに、経団連が主張しているような「賃下げ」のためのワークシェアリングを採用せざるをえないということです。

事務所スタッフを雇い入れて、彼らの助けを借りて政治活動を行っている私としては、同時に経営者の端くれでなければならない訳ですが、経営者たる者、事務所がスタッフにとって自己実現の場であると同時に生計の手段であるよう常に配慮しなければなりません。事務所が彼らにとって自己実現の場であるかどうかはさておき、事務所が生計の手段となっていない場合、本来、経営者はスタッフを速やかに「正規」に雇用することで報いるべきです。このことは、従業員が2,3人の零細企業だろうと数万人の大企業だろうと基本的に同じ筈です。

そうだとすると、企業が空前の内部留保を抱えつつも、利益を労働者に分配しなければ正規雇用もしないという状況はどう考えても異常で経営の失敗と言わざるをえません。不況であろうとなかろうと、経営者は当該事業が社会に還元をしているかどうかを点検し、従業員の生活の安定を確保をする必要があるでしょうし、被用者は自らを見つめ直し自らの価値に目覚める必要があると思います。

それにしても、年越し派遣村の問題ばかりがクローズアップされていますが、誰がやってもアウトプットが一定の時給の安い仕事が氾濫している状況を変革する努力を、経営者も労働者も政治家も政府も怠ってきたことが現状の根底にある、と考えるのは行きすぎでしょうか。産業構造の転換をして、雇用を創出して、失業を無くすことを目指さねばなりません。

追伸:意欲を失わずに私の活動を日々支えてくださっている事務所の面々には経営者として猛省しつつただただ感謝をするばかりです。


posted by 村越ひろたみ at 23:59| 政治放談