2014年03月11日

東日本大震災から3年経って

東日本大震災から3年が経ちました。亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともにご家族を亡くした方々、未だに故郷に帰ることが出来ていない方々に心よりお見舞いを申し上げます。3年前の3月11日14:46分当時、私は議員会館の事務所で来客対応をしていました。大きな揺れに驚き事務所内の人員をどのように退避させようかと考えるばかりで、東北に巨大な津波が押し寄せ、福島の原子力発電所で悲惨な事故が起きるとはよもや考えもしませんでした。その後、連日事務所に泊まり込んで、帰宅難民の支援や浦安を計画停電の指定区域から除外してもらう作業に走り回った記憶が甦ってきます。

しばらくして議会の仕事が復旧対応一色になり、液状化対策ワーキングチームを立ち上げ、復興特別委員会で東北の被災地を廻る活動に明け暮れましたが、常に頭から離れなかったのはは液状化被害で泥水と砂だらけになった浦安の街のことでした。さしあたって国全体どうするかという事に集中できたのは、ひとえに地元のみなさまの暖かい後押しがあったからこそと今でも感謝しています。液状化の被害には苦しめられているのだけれども所詮は生き死にの問題でないので東北のことを最優先でやってくれ、というような激励を沢山頂きました。これこそ利他精神そのものではないでしょうか。

浦安では市長のリーダーシップと市民のみなさまのご協力のお陰さまで急ピッチで復興が進んでいます。間違いなく浦安はそのブランドを取り戻せると確信しています。また、市川でも放射性物質汚染のホットスポットが危惧されましたが、これも早急な対応のお陰で市民生活は平穏を取り戻すことができました。十分だったかどうかは市民のみなさまのご判断を待つばかりですが、これらの仕事に少なからず関わることが出来たのは良かったと思っています。もちろん、やるべき課題は国でも地元でも沢山残されているので継続して取り組みたいと思います。

復興を考えることは、とりもなおさず日本のグランドデザインをどう描くかということです。しかし、東北につぎ込まれている復興予算が将来の防災のために適切に用いられているか、国のエネルギーをどうするのか、ハッキリしないところがあります。野党の立場になりましたが、建設的な意見をし続けなければならないと思いを新たにしています。とりわけ、これを機に脱原発をどうやって進めるかということは再び活発な議論をしなければなりません。それなくしては被災された方々に申し訳が立たないと強く思う次第です。
posted by 村越ひろたみ at 15:11| 政治放談